年相応(としそうおう)ということについて

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世は高齢化社会、少子化社会に突入しています。

自分もベビーブームの”谷”で生まれたとはいえ、今の出生率の少なさに比べたら十分ベビーブームだったなあと感じる今日この頃。

50の声がもうすぐ聞こえてきそうになって年相応ということが自分の周りでやかましく行動を規制するようになってきました。

どういうことでしょうか。
photo credit: Franck Vervial via photopin cc

若いうちに平気でできたこと

若いうち、例えば10代あるいは20代前半の頃にはまったく恥など顧みずいろいろなことをできました。
例えば大学生のころは冬にはインバネスコートを着て中折れハットを被って夜の街に遊びに行っていました。周りではもちろんそんなものを着ている人は爺さんから若造まで一人も見ませんでした。

ちなみに着用していた頃は「インバネスコート」なんて名前や「中折れ帽」なんて名前は知りませんでした。今回記事にしようとして調べて初めて知りました。

あ、夜の街へ行くと言っても下戸なので入る店はルノアールなどの健全系喫茶店ですよ。
あるいは、女子大生とのコンパでは思いっきり下品なことを言ったり、する真似をしたりとか。

とにかく変わったことをしたいと思っていたのか、バカバカしいことをできるのは若いうちだけだと早くから悟っていたのか思い出すと穴があったら入りたくなるようなことをいろいろやってきました。

しかし年輪を重ねるうちにできなくなってくる、というか自分にブレーキをかけることが増えています。

例えば、ブログを書くのに少し前まではカフェに行って書きたい!とか思っていましたが、なんとなく最近は行く気がしません。

本当はいくつか行ってみたいお店があるのですが、どうも躊躇します。

「おっさん一人でカフェに行ってパソコン弄ってるのもちょっと間抜けなのかも」と考えたり、あるいは「パソコン1つで食っているなら全然平気だけど、趣味の範疇なのにわざわざカフェに行ってまでやらなくても・・・」とか思ったり。

これが若者だったら、カフェに行ってマック開いてFacebook見てるだけでもそれなりにサマになるんですよ。おっさんじゃ悲哀を感じるだけかなあなんて。

年相応のことをしなければならない

年相応のことをするようにしないと恥ずかしい年頃になってきてしまっているのです。

しかしなぜ自分のなかでギャップ感のようなものがあるのか考えてみました。

それは自分の精神が年相応になっていないからなのです。
自分で言うのもなんですが、年齢より若く見られます。童顔ではないのですが、若いうちは老け顔だった人は年を取ってから若く見られるというやつです。

で、意外と最近まで自分は「若い」つもりでいました。まあ学生ほどの若さはもちろんありませんが。

ところが、顔はまあまあ若く見られても頭髪がいよいよついてこられなくなってきているのです。

それと仕事もそうだし収入もそうです。

つまり
実年齢:7合目
顔:若く見える
頭髪:年相応かそれ以上
仕事:部下に指示するとかではなく追い立てられる仕事
収入:若造並

というアンバランスな状況が精神的不安を増幅させているかもしれません。

まあとにかくあまりみっともないことが出来ない年頃になっているのですが、そのみっともないことの価値観がうまく形成できておらず、しばしば嫁から叱責されたりもします。

今日の吉田哲也はこう思ったよ

年相応って自分にとっては難しいです。

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