こんなこというのも自慢話っぽくてちょっとなんなのですが、ぼくには荒川右岸道路にいつも待っていてくれる友達がいます。
最近は手ぶらで訪問するのも悪いので手土産を持っていきます。
自転車で出かけるのであまり多くの手土産は持っていけませんが、毎回ぼくが持っていく手土産を彼らは喜んで受け取ってくれます。
ただ残念なのは毎回同じ友達が出迎えてくれるのかどうかよくわからない点です。
荒川の河川敷のテトラポットが友達の住まいであまりにも寒々とした景色ではありますが、クルマがほとんど通らないので安全性はまあまあ確保できているかと思います。
やはりいちばん心配というか気がかりなことは友達がときどき、あるいはしょっちゅう食うのに困っているのではないかということです。それは働いていないというのもありますが、すぐそばに食べ物らしきものを確保できる場所もなさそうなのです。
そして毎回ぼくが持っていく手土産をガツガツと食べるのです。
おいおい、せっかく久しぶりに訪ねて来たんだから食ってばかりいないで遊んだり語らったりしようじゃないかと思ってもひたすら食べてばかりであまりぼくと旧交を温めようという気持ちがなさそうな・・・
それでも久しぶりに会えたらうれしいもので、ぼくがやった手土産を美味しそうに食べている姿を見るのはほのぼのとした気持ちになります。
大きくならない気がする
その友達と初めて出会ったのはもう2年ぐらい前になるかもしれません。正確には覚えていませんが、初めて荒川の右岸自転車道路を走ったときか2度めのときだかにたまたま出歩いていたのを見かけてすぐ友達になりました。
なにしろぼくは誰とでもすぐ友達になれますし、とくに人見知りする彼らは大好きです。
それ以来そこを走る度に会える喜びを噛み締めていましたが、どうも大きくなっていないような気がするんです。それだけ食べ物に不自由しているんだろうなあと察します。
そして会う度に模様が違っているような・・・
疑問1.毛の模様ってだんだん変わるの?
まあそれはともかく毎回通る度に会える彼ら彼女らに癒やされて生きる希望が湧いてきます。
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