今回記録を残しておくのは中山道69次の30番塩尻宿。
とくに濃い情報を網羅しているわけではない。参考書籍をたよりにした自分の踏破記録としてブログに残しておく。
自分ちの近くの道が江戸と京都を結んでいるという歴史が面白い。
中山道69次の30番塩尻宿情報
基本情報
太平洋産の南塩と日本海産の北塩の終着点から塩尻の名がついたとのこと。バイパスができていない地域のため今でもこの宿場の旧中山道が主要交通路になっていて車の往来が激しい。
本陣位置
▼明治15年の大火で消失し碑のみ。
高札場位置
▼高札場跡にはそれらしい高札が今でも設置してあってわかるのだが、車で走っているとうっかり見落としやすい。
無料駐車場位置
本陣跡地が空き地になっていたので無料で停めた。無料駐車場なのかどうか不明。
写真と簡単な内容
訪問日時
- 2021年8月12日 妻籠宿・馬籠宿と早朝から見て回り帰りがけにちょこっと寄った宿場。前にも通ったときに認識はしていたがほぼノーマークだったためスルーしてしまっていたが、この日は無料駐車場に停めてややじっくり見て回った。といってもいくつか史跡が残っているだけで街そのものの風情はほとんど残っていない。
- 2023年1月8日
写真とコメント
できるだけ江戸方方面から近い順に載せている。
塩尻峠茶屋本陣
▼下の2枚は下諏訪宿との中間に位置し、上條家が一軒だけある。後に茶屋になった。
柿沢一里塚跡
旧中山道から国道153号線に入る三叉路の交差点にある。明治以降の道路開発により手がかりは一時なくなっていたが後に有志により文献その他の資料から位置をこのあたりと特定して碑を建てたそうだ。
三州街道碑
三州街道は、信濃と三州(三河)を結ぶ街道で、伊那街道ともよばれる。中山道の塩尻宿を起点として、天竜川沿いに伊那谷を南下し下伊那の駒場・根羽を経て、三州(三河)の岡崎で東海道に合流する街道である。また、この街道は「中馬の道」ともよばれている。
引用:街道を学ぶ 三州街道/長野県塩尻市公式ホームページ
現在はこの三州街道を進むと国道153号線に合流して駒ヶ根、飯田方面へ伸びている。道祖神抱擁像から京方へ少し進んだらあるが、立派な碑を期待していたのだが現実はこれ。
口留番所跡
徒歩で散策していたら偶然見つけたのがこの口留番所跡。関所ほどの厳しさはないが関所のミニチュア版と理解すればよいと思っている。
五千石街道碑
諏訪藩主が東5千石の飛び地の巡見に利用した道が「五千石街道」と呼ばれるようになったともいわれている。
引用:街道を学ぶ 五千石街道/長野県塩尻市公式ホームページ
小野家住宅(旅籠いてうや)国指定重要文化財
小野家住宅は、約400年前、塩尻宿の「いてうや」という旅籠として開業し、現在の建物は1836年(天保7年)に再建。骨組みなどの構造材は、再建当時のものが今もそのまま使用されている。1973年(昭和48年)に主屋と文庫蔵が国重要文化財に、2009年(平成21年)には隠居屋、宅地などが追加指定されており、「幕末の華やかな旅籠建築」と「近世の旅籠の屋敷構え」を今に伝える貴重な文化財である。
引用:国指定重要文化財小野家住宅 当主 小野良文さん・香苗さんの耕し方 | 塩尻耕人たち | 塩尻耕人
個人の所有であるが内部の見学もさせてもらえるようで詳細は問い合わせしてみよう。
飛脚問屋跡
ネット上には特に詳細な記述がみつからなかったが読んで字の如く飛脚問屋があったのであろう。
高札場跡
それっぽくはないがかろうじて復元してある。
▼向かいには明治天皇行在所あった。
本陣跡
▼本陣跡地が空き地になっているので駐車させてもらったがとなりの消防署の駐車場っぽい。誰かいたら一言断ったほうが良さげ。
▼立派な宿場看板櫓(?)がある。
脇本陣跡
▼脇本陣はなんとなく形が残っているように見えるが実際にはこちらも明治15年に消失していて塩尻駅開業後に駅弁事業を開業してその建物らしい。
堀内家住宅
雀おどりと呼ばれる棟飾りが特徴的で、一般的な町屋の切妻、妻入の建物とは異なり、正面間口が広い為、独特な外観となっています。外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、正面2階開口部は格子戸で格子や屋根、式台付玄関など意匠にも優れています。
引用:堀内家住宅(塩尻市)
昔の長者だけあってこのあたりの町名も『堀ノ内』という名だ。
塀の外には双体道祖神
平出一里塚
京方面から
両側が完璧に揃っていてあまりにも見事なので何枚も写真を撮ってすべて載せてしまっているが一見の価値あり。
見損なったが次回行ったら見たい史跡
- 朝日観音堂
建設途中で彫刻家が事故死し十二支の彫刻が龍で終わっている。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍著者岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事はこちら