Study Group Photo by bradhardy
息子と風呂場で話す話題シリーズです。
息子はまだまだ学生なので勉強を毎日しなければなりません。
数学などはものすごく難しい問題を解かねばならぬとかで日々苦闘しております。
そんななか当然「何でこんな勉強をしなけりゃなんねん?」という疑問は何度も起こっていたようです。
というか誰だって学生のうちは思いますよね。
風呂場で息子に言って聞かせた内容があまりにも神がかっていたようで、息子に
「親父ブログに書けよ」
とそそのかされ、ここに記録しておきます。
超難しい問題ってどんなの
息子から出題されました。
「nの5乗-nはかならず10の倍数になるということを説明せよ」
という問題です。
さてわかりますか?
ヒントは2の倍数かつ5の倍数にかならずなれば10の倍数になるという証明になるそうです。
ぜんぜんわかりませんね。
こんなん解ける奴いるんかよ?って思いますが、世の中にはいるんでしょう。
とてもワシにはこの場で説明できませんので興味のある方はググってください。
身体を鍛えるのはなぜか
はっきりいって上記の問題など大多数の人にとって大人になってから役に立つようなものではありません。
それどころか学生のうちに習っていることの大部分は将来大人になって使い物にならない知識です。
使い物にならないというのは語弊があるかもしれませんが、まあ使う機会がないと言い換えても良いでしょう。
国語の時間に教わった漢字や熟語、現代社会で教わったことなどは使う機会もあるでしょう。
でも数学で教わったことなんてその道の技術者にならないと使わないし、日本史や世界史なんてときどき記憶を引っ張りだして何かの機会にひけらかすぐらいしか使いません。
なぜそんな無駄なことを勉強するのか。
それは一言でいってしまえば「頭を鍛えている」ということです。
身体を鍛えるのは懸垂をしたり、腕立て伏せをしたり、またジョギングも体を鍛える効果がありますね。
それらの運動する行為そのものには意味はありません。
懸垂をする人は懸垂を何度もすることに「何の意味があるんだろう?」と思って上下させている人はいません。
懸垂をするのはそれによって腕の筋肉や背中の筋肉を鍛えたいと思ってやるのです。
さらにその鍛えた筋肉を他のことに役立てることに意味があるのです。
つまり懸垂そのものが目的ではなく、それによって体の一部分を鍛え、その先の目的に使うために懸垂をするのです。
頭を鍛える
学校で勉強するのもまったく同じことだと思います。
もっともワシが自分で思いついたわけではなく、いろいろな人の話を読んだり聞いたり、あるいは成熟した大人になって実感し自分の意見として至った結論です。
身体と同様に鍛えているのです。
身体の鍛えは1次元的に測定するしかありません。
例えば何秒縮んだとか、何メートル飛距離が伸びたとか。
しかし、頭の鍛えの測定は何次元にも渡ります。
学校では便宜上、何点というふうに点数つまり1次元で計測しますが、実際はそんな1次元的に測定できるものではありません。頭の中はいわば宇宙なのです。
学校の勉強を通して学生は思考力、想像力、記憶力、その他ありとあらゆる脳の力を鍛えているのです。
だから乱暴な言い方をするなら何を勉強してもいいくらいです。
アメリカなどの国では子供の能力に応じてどんどん進級を許してときどき年齢は小学生だけど大学生になったという人も出たりしますね。
日本ではそういうシステムがなく皆年齢に応じたことを学習しなければなりませんが、それでも一応頭を鍛えるのに適した内容を勉強しているのではないかと思います。
子供が「なんでこんなこと覚えなきゃなんねんだよ(泣)」とか「勉強なんかしたって将来役立たねえだろ?」とか言ったらワシは子供に言ってやります。もう子供が結構大きいのであまり時間はありませんが。
頭を鍛えているんだと。
頭を鍛えると思考力、想像力、記憶力その他のあらゆる能力が向上します。
それらは生きる力です。
新しいことを学習すると脳は活性化しますね。それを常に繰り返していると若さを保てるでしょうし、使えば使うほど頭は若くなると思います。
さらに頭を鍛えるのは学生の間だけではない
頭を鍛えるのはなにも学生だけではありません。
人間の頭、脳というのは限界をだれも極めた人はいません。
何歳になっても鍛えるほど強くできるのが頭でしょう。身体は加齢とともに衰えていきますが、頭はそうとはいえません。
大人になったら数学の問題を解くのは苦痛のほうが強いので敬遠ですが、ほかにもいろいろ鍛えようはあります。
新しいことなら何でも脳の刺激になるというのはよくテレビなどでも多くの学者の方々が言われていることですね。
今日はこう思ったよ
学校で勉強するということは生きる力を鍛えているのです。
学歴の高い人ほど年収が高い傾向があるというのは偶然ではなく結局生きる力が強いということではないでしょうか。
だからといって学歴がすべてではありませんが、勉強をして頭を鍛えておいて無駄はありません。
その先を見通して一見無駄な勉強をあきらめずできるかどうかは幼児期の育て方にかかってたりして・・・