吉田松陰の墓というところを訪ねてみました。
どうも萩というところには吉田松陰がらみの施設が多数用意されていて観光客を飽きさせない工夫が凝らされています。
今回ご紹介する吉田松陰の墓というところも墓はあるにはあります。ただ他のところにもあるらしいです。
打ち明けると萩に行ってきて記事を書いている今となっても他でも見たような・・・いや違うか。あれは墓じゃないかなどと記憶が消化不良を起こしています。
しかしながら今回紹介するこの吉田松陰の墓というところには誕生地もあり、また高杉晋作の墓もあり(高杉晋作の墓は東行庵にもある)見どころ満載です。
吉田松陰墓と誕生地
複数箇所にあるといわれている吉田松陰の墓
まずは日本国内に複数箇所あるらしい吉田松陰の墓は以下です。整理しましょう。
- 最初に埋葬された回向院
吉田松陰、最初の墓があった寺 – 小塚原刑場(回向院、延命寺)の口コミ – トリップアドバイザー
- 東京松陰神社
鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
引用:松陰神社 – Wikipedia - 東光寺の墓所(今回参ったところ)
万廷元年(1860)2月7日は松陰の没後100ヵ日に当たるので、生家の杉家では100ヵ忌を営み遺髪を埋めて造られたものである。
引用:【吉田松陰の墓及び墓所】アクセス・営業時間・料金情報 – じゃらんnet - 下関市にある桜山神社も吉田松陰の墓があるといわれている
このうち今回ぼくが訪れたのは東光寺のすぐわきにある墓所です。
場所と駐車場
萩市街地でも東の方で比較的新興住宅地が並んだ風景を過ぎて丘を登っていくとあります。
丘を登りきって少し下り坂を降りていくと駐車場があります。
▼そこそこ広い駐車場ですから大河ドラマででも取り上げられない限り停められなくなるということはないのではないでしょうか。こんな幕末の偉人に関して本当はもっとみんな熱狂するべきではないかと思っていますが。
▼駐車場から再び戻るように丘を登っていくと右手に吉田松陰先生銅像とさらに右に吉田松陰誕生地があります。
▼自分の家を建てるときにも感じることですが地面に区画だけ描かれているときってすごく狭く見えます。実際にそこに建物が建つとそこそこ大きく見えるのが不思議です。
したがってこの吉田松陰誕生の跡地も小さく貧相に見えますが実際にはそんなに小さくはなかったと思います。この辺見てるともう何が込み上げてくるものがありませんか?実際にその場へ行くとわかるでしょう。
あの歴史的に坂本龍馬と同等とも言える幕末の奇跡の人がここで誕生したかと思うと「あやかりたい」という感情がヒシヒシと込み上げて来ます。
石碑の写真撮ってませんでしたが「吉田松陰先生誕生之地」という題字は弟子である山県有朋が書いたもので彼の絶筆になったそうです。その場でこれよく読んどくべきだった。ここにある銅像は弟子の金子重輔を従え下田沖のペリー艦隊を見つめている姿だそうです。明治維新100周年を記念して建てられました。
そしてぼくが訪問したのは150周年の年です。
ここには吉田松陰のほかにさまざまな偉人の墓があります。高杉晋作、久坂玄瑞、玉木文之進(吉田松陰の叔父)
ここの階段から自転車ごと登りました。盗まれてもつまらないのと、ほかに誰もいなかったのと。▼東行こと高杉晋作の墓。▼これが吉田松陰の墓。奮発してお札を賽銭してお参りしました。
あとがき
吉田松陰の墓を参ることができて感慨ひとしおです。
だって明治維新胎動の原動力の一人ですよ!彼がいなかったら明治維新はなかったとは思いませんが高杉晋作やら伊藤博文やらへの思想的影響力が全然変わっていたので果たして歴史の流れがどうなっていたか。全然違うものになっていたのでは無いかと素人ながら想像します。