のぼうの城の史跡(主に石田堤)を訪ねてみる

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20140823 行田のぼうの城史跡
のぼうの城という映画を観て自分の住んでいる近くにそんな歴史があったのかと改めて知った。
これはいてもたってもいられなくなり出かけてみた。
映画で出てきたところ全てとはいかないが、思いつくところは行ってみたり探ってみたりと。
1日ではとても見切れないが、どんなところだったか紹介してみたい。

行田市役所のすぐ西に公営の無料駐車場があるのでそこにクルマを停めて自転車ででかけてみた。

忍城の周り

▼クルマを停めた駐車場からほんの100mぐらい南にある忍の時鐘楼跡。
忍城本丸から見てすぐ東にある。時鐘楼というくらいだから時刻を知らせる鐘楼があったのだろう。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼柴崎和泉守が守った長野口門跡
いきなり場所が飛んでしまっているが上の鐘楼碑は城の東で、この長野口門跡は城の東北である。
映画では絵図面を見ながら軍議していたが、この長野口門と佐間口門の位置関係がおかしかった。実際は本丸を中心に90度近くしかも長野口が東北、佐野口が東南のはずだ。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼町中をうろいろしていて偶然見つけた八軒口御門の記念碑。
映画では特にでてこない。今回こういうのをあまり目を皿にして探さなかったが次回はもっとあちこちにあるはずだから見つけたい。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼正木丹波守が戦没者供養の為に開基した高源寺の門
20140823 行田のぼうの城史跡

▼高源寺の門から中を見る。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼門を入ってすぐ左にある正木丹波守墓と記念碑
こういうのを映画を見た直後に見るとものすごい感動的だ。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼高源寺の門前から見る佐間天神社
映画では佐間口に開基と言っていた通り。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼佐間天神社前に掲げてあった今昔地図
不鮮明だがパソコンでクリックすればある程度拡大して見られると思う。
20140823 行田のぼうの城史跡

石田堤

石田堤記念公園

▼行田市外からずーっと石田堤跡を目指して向かって行き、国道17号バイパスを超えて間もなく石田堤見学者用駐車場というところに出くわす。別に路駐しても問題ないくらいまわりには何も無い。ただし抜け道らしく結構クルマの通りは頻繁だ。
ここのすぐ右の道路沿いが200メートルぐらいかもっとか、石田堤があるのだ。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼駐車場のすぐ向かいに看板があり、これも石田堤なんですよと教えてくれる。
さらに石田堤跡というところへ向かって行くと整備された公園の入り口がある。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼石田堤記念公園という堤を公園にした形だが、それほど広くはないがキレイに整備された公園だ。さてあれはなんだろう。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼そのなんだかわからないぜんぜん高くない櫓の上にて。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼さらに細長い公園を奥へと進むと石田堤とモニュメントが見えた。
新幹線の高架で分断されているものの名残が残っていてうれしくなる。
いろいろなサイトでここの写真は見ていたが、自分の足で踏み込むのはまったく違う感動がある。
堤に対して右側が水を張った側である。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼モニュメントを背にして公園側を見る。右下に公園の碑文がある。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼碑文には石田堤記念公園と彫ってある。石田堤に沿って数百メートルほど芝生の生えたちょっとした公園になっているのだ。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼さてモニュメント直下から堤を見てみよう。
土俵や参考資料が展示してあり、またこの櫓の形になったモニュメントの下に立つと説明が音声で流れてくる。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼近づいて行ってみると見取り図がある。このあたりの公園を含めた全貌イラスト。こんな堤が十数キロ続いているってんだからスゴイ。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼石田堤はこのような階段がついていて上まで上れるようになっている。
当然ながら上ってみる。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼堤に上がってみたところ。写真のど真ん中あたりが忍城の方向であるはず。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼ほかのサイトでも似たような写真はたくさんあったが自分でも撮らずにいられない石田堤の上の小径(?)
昔が偲ばれるが実際には石田三成はこの辺には立ってはいなかっただろう。なにしろ本陣である丸墓山古墳は遥か彼方だから。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼確かにいきなりこんなところに土手があるって感じ。
20140823 行田のぼうの城史跡

ちょっと引いてみたところ。
20140823 行田のぼうの城史跡

さきたま古墳公園へ向かう

▼石田堤記念公園から古墳に向かって忍川のすぐ東にある用水路沿いを走るとしばらく小高い緑道になっている。
もしかしてこの小高い緑道も名残ではないだろうか。でも復元地図とは位置が違うからそんな気がするだけかも知れない。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼ここもそんな感じ。っていうかちょっと小高いところを見るとみんな石田堤じゃないのって思ってしまう。これぞ歴史ロマンだ。
20140823 行田のぼうの城史跡

さきたま古墳公園付近での石田堤

▼正面にあるのが丸墓山古墳であるが、この古墳に通じる道も他より少し高くなっていて堤防として盛り上げられたところだということだ。
道路左に小さい立て札が見えるがあれに書いてあった。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼これがその立て札。
ここの道も石田堤だったと書いてある。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼わかってます。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼わかってますって。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼石田三成が本陣とした丸墓山古墳を下から見上げたところ。高さは19メートルだそうな。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼石田三成軍が本陣にした丸墓山古墳の上り階段。
当時これはあったのかどうか?
20140823 行田のぼうの城史跡

▼丸墓山古墳の頂上はざっくりどれくらいと表現しにくいがまあまあ広い。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼丸墓山古墳の頂上から忍城を望む。
ど真ん中になんとか小さく見えるのが忍城の本丸天守閣。
映画ではあそことこちらの両側から「のぼう様」の田楽踊りを見ていたが現実には不可能だろう。距離にして約2.4kmである。昔の人は目が良かったにしてもちょっと無理っぽい。
20140823 行田のぼうの城史跡

▼石田三成軍が本陣にした丸墓山古墳の頂上から南方を望む。
20140823 行田のぼうの城史跡

余談

▼途中の八軒口御門で見ていたところ、声をかけてきた市の職員みたいな人に教えてもらった橋。
この橋の下にあるアーチ型の橋桁はそのむかし行田を通っていた鉄道馬車のレールを使っているらしい。確かに良く見ると断面がHの字みたいなのだ。
20140823 行田のぼうの城史跡

参考サイト
行田史跡石碑
三成の戦下手・石田堤ポタリング – GO GO ヘリオス ! 輪行録 – Yahoo!ブログ
行田市忍城が舞台の「のぼうの城」は映画も見たくなる小説だった – ちほちゅう

今日の吉田哲也はこう思ったよ

まだまだ見切れないのでまた近日中に行きたい!

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