とうとうMacBook Airを買いました。
誰も期待していないでしょうけど強引に開封の儀やります。
実際のところレビューらしいレビューは書いてません・・・
開封の儀
▼外箱の段ボールさえきれいに出来ています。
箱の片側を開くと夢にまで見た(いやほんとマジで)MacBook Airの文字があります。
▼中箱を出します。もうこれを自宅で手にできるだけで感動ものです。
▼箱を開けてみます。
この箱の内箱とフタの勘合の気密性にはiPhoneのときといい驚かされます。
たかが箱ひとつにどんだけ気をつかっているのか!
ユーザーに素晴らしい経験をしてもらおうというAppleの思想が垣間見えます。
▼本体もこの黒いパレットみたいな枠にぴったり入っていて、ビニールの保護シートのベロを引かないと取り出せないようになっています。
この細部への拘りは日本企業のもつスピリットに少なからず影響を受けているはずです。
本体の下にはコンセントとか綺麗に収まっています。
▼まだ保護シートを剥がす前の状態です。
iPadは似たような保護シートを付けたままでもなんとか使えますが、さすがにMacBook Airは即シートを剥がさないと使えませんね。
▼とりあえず充電始めます。
この充電のコネクターも驚くことに磁石でピタっとくっつくようになっているんですね。
いままで他の方のブログで開封の儀をまじめに見てきませんでしたが、自分でやるとやっぱり違うものですね。
生命を吹き込みます。
▼液晶部を開きます。知っていましたが、片手で液晶部を持ち上げてもキーボード側が持ち上がらないんです。
これはDE○Lなどの安物のノートパソコンではありえないことです。
自分が今まで見たすべてのWindowsのノートパソコンは液晶部を開くときに片手で開けようとするとキーボードが付いてきてしまいます。
ついてこないように少しずつ「ふんっふんっふんっ・・・」って感じでちょっとずつ勢いを付けて開きますね。
▼電源入れました。
リンゴマークが出て個人設定を開始します。
今日はこう思った
MacBook Airを一応自力で手に入れたのですが、何やら気恥かしさがあります。
それはまるで初めて携帯電話をわが手にしたときと似ています。
あのときも気恥かしさがありました。
現代では携帯電話は誰でも持っていて当たり前なくらいに普及していますが、まだ普及していなかったころ、当時(1989年頃)勤めていたいた会社でトップの数人だけが持っていました。
そのトップの数人は年収が2000万ぐらいの方たちで所謂ヤンエグ(死語?)またはヤングエグゼクティブというような方たちでした。
それからわずか数年後にやや普及の兆しが見え始めたといっても、まだまだ周りの自分と同レベルの人々には持っている人が一人もいない状況でした。
そのころに義父のお下がりの携帯電話を初めて使った時がそうでした。
自分はぜんぜんエグゼクティブでないのにこんなものを持って僭越だったり過分だったりではないかと思いました。
何しろ自分が新しく勤めた先の会社の社長さんですら持っていないうちに自分が携帯電話を持ってしまったのですから。
自分など携帯電話を持つに値しないとか、MacBook Airを持つに値しない人間だと思ってしまいます。
それほど高級であるという思い入れのあるマシン、MacBook Airなのですから一所懸命使って使い倒したいと思います。
といっても買ってから5日ぐらい経ちますがまだこわくてほとんど何もできてません。
Google Chromeをなんとかインストールしたくらいで、こわくて少しずつですわ。
とりあえず動きは超早いです。いまのところのレビューはこの一言です。