[PR]記事内のアフィリエイトリンクから収入を得る場合があります

【島根県】出雲大社を中心に観光するときまずは外せない4つの名所

この記事は 約5 分で読めます。

slooProImg_20130515211248.jpg

出雲大社の60年に一度の遷宮が2013年5月に行われます。

出雲大社の最寄り駅である出雲大社前駅を基点としても自転車で回るには地図で見るとちょっと地形的にムリがありそうな気がします。

当然のことながら輪行&サイクルトレーラーで出かけることを想定しておりますので、まずは最優先である出雲大社を中心に見据えた観光スポットを調べてそのなかで面白そうなところを回るという手を考えましょう。

60年に1度の遷宮をする出雲大社

“縁結びの神様”で知られる出雲大社(島根県出雲市、千家尊祐宮司)の「平成の大遷宮」が今年、クライマックスを迎える。日本の代表的な神社建築様式「大社造」を連綿と伝える国宝・本殿は、檜皮葺(ひわだぶき)大屋根の葺き替えを主体にした修造をほぼ完了。5月10日には、祭神の大国主大神が蘇(よみがえ)った本殿にお還(かえ)りになる「本殿遷座祭」が営まれる。
引用元: 出雲大社 5月に本殿遷座祭 「大遷宮」歴史の重み 島根 (産経新聞) – Yahoo!ニュース.

神様のお住まいを更新することを通したつなぎ文化

日本の神様のお住まいは有限物としての木造の建物を造替することによって有限存在の更新をはかり、有限なるものの造替・更新のつなぎの繰り返しによる永遠性の生成に、生命の継承と同様の意味価値を与えた。
引用元:出雲古事記のふるさとを旅する

なるほど、確かに先日読んだアマテラスの誕生にも似たようなことが書いてありました。
だからアマテラスの住まいである(?)伊勢神宮も20年おきに遷宮をするんでしょうね。

ちなみに平成25年つまり今年は出雲大社と伊勢神宮の遷宮が重なる年でもあります。

アマテラスオオミカミがオオクニヌシノミコトから葦原中国を譲り受け、その条件として隠れ住むための天之御舎(あめのみあらか)を造って与えたことが起こりだということです。

ほかにも諸説ありますが、それは神話の話ですからなにが真実かはわかりません。

大社の宝物殿から東に延びている「真名井の社家通り」には出雲教の総本院がおかれる北島国造館、境外摂社の命主社(いのちぬしのやしろ)、真名井の清水などがあります。

島根県立古代出雲歴史博物館

宝物殿から東に延びている「真名井の社家通り」から南にくだります。

人気収蔵物ベスト3はというと

  1. 出雲大社本殿模型(平安)
  2. 古事記
  3. 大社縁結図

1の出雲大社本殿模型は高さ約48mという日本一高大な本殿があったという学説に基づく縮尺1/10の模型です。
2の古事記は日本の神話が書かれた書籍です。現代の天皇陛下まで脈々とつながる系譜を考えたときに神話が現実と繋がってしまいそうですが、あくまで神話ですので。
3の大社縁結図は出雲大社に集まった神々の姿を描いています。江戸時代に描かれたらしく当時の人気歌舞伎役者の似顔絵になっているとのことです。

島根県立古代出雲歴史博物館

稲佐の浜(いなさのはま)

大社からは「神迎えの道」を通って稲佐の浜へ通じています。

国譲り、国引き神話の舞台

出雲大社の西にある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。

また、この浜は、旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。

弁天島

稲佐の浜に一際目立つ丸い島があります。
古くは「沖御前」といい、遥か沖にあったといわれています。昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の前まで歩いていけるようになりました。
神仏習合のころには、「弁財天」が祀られていましたが、今は豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。
地元の人には「べんてんさん」と呼ばれて親しまれており、旧暦6月15日には「灘祭り」が行なわれています。

屏風岩(別名国譲り岩)

高天原からの使者として派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、この岩を背にして、大国主大神と国譲りの話し合いをされたと伝えられています。

戦うことなく国譲りをされた大国主大神の「和を尊し」とするこころを感じてください。

稲佐の浜から50メートルくらい入った山手にあります。

引用元: 稲佐の浜(いなさのはま)|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】.

砂浜を自転車で走るわけにもいかないでしょうけれど清々しそうなので、ぜひ行ってみましょう。

旧JR大社駅

和風駅舎の最高傑作

駅舎は明治45年(1912)に国鉄大社駅の開通により開業され、大正13年(1924)2月に新たに改築されました。出雲大社の門前町にふさわしい、純日本風の木造平屋建てで、和風趣向の際立つ建物です。

JR大社線は、平成2年(1990)3月31日に廃止され、その後旧大社駅舎は平成16年(2004)国の重要文化財に指定されました。

大正浪漫の建築美

高く設計された天井からは大正風の灯篭型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個備え付けてあります。待合室は正面向かって右手が二等待合室、中央の大きな一般待合室と二つあり、昭和初期までは分けて使用されていました。

屋根にまで施された凝った装飾

駅舎の威風を誇る屋根にもいろいろと特徴があります。中央には千鳥破風が取り付けられ、また、棟には鴟尾(しび)が乗り、各破風には懸魚(げぎょ)が付けられています。瓦はいずれも特製で、一般の物より大きく玄関中央の懸魚の上野瓦は国鉄マークである動輪の瓦があります。さらに、瓦の上には亀の彫物が付けられています。

引用元: 旧大社駅|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】.

電車好きの私としてはこの旧JR大社駅も外せません。パワースポット云々とは無関係ですが、以前も軽井沢近くを走ったとき熊ノ平駅跡なんてところも歩いてみましたのでこちらも訪ねてみましょう。

タイトルとURLをコピーしました