下関の港に唐戸ターミナルというフェリー発着場がありましてそこから巌流島へ行き来できます。
往復で買えば大人800円です。
巌流島とはご存知、宮本武蔵が佐々木小次郎と決闘をした島です。いつのまに巌流島と呼ばれるようになったのやら・・・
もともと巌流島の巌流とは佐々木小次郎が始めた剣道の流派のことですから負けた人の流派の名前を島の名前にするなんて何考えてんの?って行ってきてこの文章を書き終える頃まで思ってました。
ウィキペディアで調べたらやっぱり正式名称は船島だそうで、やっぱり吉川英治の宮本武蔵(Amazonリンク)で読んだとおりでした。ちなみに吉川英治の全集はたった200円で吉川英治の作品ほぼすべて読めちゃいますからこれ絶対オススメです。たぶん一生かかっても読みきれないんじゃないかと思いながら毎晩読んでます。
さてそんな吉川英治の著作を読んで訪れた船島について今回は紹介します。
唐戸ターミナル
乗り場は1番
唐戸ターミナルというところからフェリーに乗っておよそ10分程度で船島へいけます。冒頭は切符売り場の建物内の券売機で、巌流島行きとわかりやすく書かれています。おそらく毎回数十人ぐらいは利用者がいるのでしょう。
そして券売所でてすぐ目の前にある1番船着き場が巌流島行き乗り場です。
時刻表を公式サイトから拝借しました。通常1時間に1便か2便です。飽きたらかんり手持ち無沙汰になりますから暇つぶしのものを用意しておきましょう。またはダッシュで船に戻れるようによく準備運動しておきましょう。
▼関係ないけど待ち時間をすぐそばのファミリーマートで潰せます。カウンター席やらテーブル席やらがいくつもあるので隙間時間にブログを書きながらでも待ちましょう。
船
ふくまる号。だいたい60人ぐらい乗れるのかな。
▼けっこう揺れます。10分ぐらいの行程だから大丈夫でしたが、もっと長時間だったら吐いてるかも。
唐戸ターミナルを出発します。
船島(巌流島)
到着上陸
フェリーでの航海の途中では自動音声放送でだったかな?巌流島の由来についてとか関門海峡の両岸の話とか興味深い内容を盛り込んでくれてます。意外なトリビアもあったりしてもっと聞いていたいぐらいです。内容は忘れましたww
そうこうしているうちに船島に着きます。
船島というのは宮本武蔵と佐々木小次郎とが決闘した島であるというのはさきほど述べましたが、当時は島の面積が現在の1/6程度でずいぶんこじんまりしていた島だったようです。
といっても埋め立て後の部分は立ち入り禁止区域がほとんどですのでほぼ埋め立て前の当初の島の部分しか散策できません。
▼いよいよ上陸です。決闘の物語によると当日武蔵は遅れて島に到着し小次郎を苛つかせたとありますが、船は定刻通り到着です。
そもそもなぜ負けた巌流の名をあてた島なのか
これ気になりまして帰ってきたあとですがネットでいろいろ読んでみたところ意外なことがわかりました。
決闘にはそれぞれ単独で来ることが約されていた。だが宮本武蔵はそれを破って弟子4人ほど連れてきた。
小次郎は危険だからと立会人らから辞めるよう促されたが、一度約束した決闘を辞める訳にはいかないと勝負に臨んだ。
結果は武蔵が一撃で小次郎を倒したが即死したわけではなかった。息を吹き返した小次郎を弟子たちが寄ってたかって撲殺した。
この義を重んじる小次郎を偲んで後の人々が巌流島と呼ぶようになったとか。
諸説あるようですがぼくは意外にこの説があってるんじゃないのって思います。
各史跡等
▼上陸するとすぐ案内板がありますいよいよ宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した場所へ行きます。
▼と思ったらちゃっかり坂本龍馬と妻のお龍も上陸したことがあるようです。うん、お得。
▼記念碑らしきものがいくつか据え付けてあります。
掘られているのは村上元三の佐々木小次郎の一節
白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も絶えず兎禰の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった。
▼で小高い丘の上から武蔵が上陸に使用したと思われる小舟が見えます!
▼すごい!当時のものがまだ残っていたなんて!ってちょっとだけ驚きましたが実際にはイメージして復元させたレプリカです。こんな感じだったんじゃないかな〜ってお客さんを少し喜ばせてくれます。
▼そして実は小舟を見た小高い丘に宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の様子を模した銅像が立っています。
▼こういうふうに一緒に撮った写真は残っているのに、なぜか銅像だけ独立して撮影するのを忘れるという愚を犯してしまいました。
まあ想像の像ですからそんなに価値はありませんww
滞在時間19分
いくら宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした記念すべき島といっても無人島ですから。
猫が無数にいればもっと戯れていたいと思ったかもしれませんが、動かない像やイミテーションの船を一通りカメラに収めたらとっとと次の目的地へ行かねばなりません。
唐戸ターミナルから始発便(9時5分)で出て9時16分に上陸してその折返しの便である9時35分の便にもう乗って帰路についてしまいました。
一人だといいです。話し相手がいるわけじゃないからそこらでウダウダするわけでもなし。連れが自分の興味ないものに興味を示してイラツクこともなし。
帰ろうと思ったら19分で島をあとにできますww
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した船島(巌流島)の結果
結果はご存知かと思いますが宮本武蔵の勝ちです。
吉川英治の宮本武蔵しか読んだことがなく、それをもとにして作った萬屋錦之介の宮本武蔵しか見たことないんですが、武蔵って無敗だったみたいです。
ちなみに佐々木小次郎は実在が疑われている人物でもあります。宮本武蔵は実在していたというのは確からしいのですが小次郎は架空の人物という説もあり?
ということはここ船島での決闘も誰かの創作?
おいおい、アニメの聖地巡礼かよww
実在の人の場所に行くことしか興味ないです。架空のお話の聖地には今のところ興味ありません。
ただ五輪書を著した宮本武蔵がその著作内で小次郎のことに触れていないのはズルっこして勝ったから後ろめたくて言及していないのかなとも思いますし、船島に巌流島と名付けた大衆を考えると実在していたのかなと思えなくもないです。
武蔵と小次郎はお互い、弟子を誰一人連れてこないで本当の1対1で戦うことを約束した。
まさに一騎打ち。武蔵が電撃よりも速い一撃をいれ、小次郎は倒れ、武蔵が勝者となる。
実は武蔵は、隠して弟子たちを島へ連れて来ていた。
小次郎は気絶から回復し起き上がろうとするも、隠して連れて来ていた武蔵の弟子たちに袋叩きにされ撃ち殺される。
引用:【巌流島の戦い】宮本武蔵と佐々木小次郎の年齢差、決闘の詳細や結末は? | れきし上の人物.com
マニアの間では武蔵が弟子を大勢使って小次郎にとどめを刺したというのが一番信憑性が高いということです。だから判官贔屓もあって巌流島と呼ぶようになったのかな。
いやあ、歴史っておもしろいなあ。物語ではあくまで武蔵が善人で小次郎が悪人っぽく描かれていますが果たして本当はどうだったのか・・・