自分たちのブログを書いていかないとwww

Alabama vs. Houston
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今日面白い記事をネタフルさんで紹介していました。
サッカー日本代表はいつから自分たちのサッカーを追い求めるようになったのかという話です。

誰も見たことがないが、皆確かに存在を確信している、まるで座敷童のようだと揶揄しています。
いやあこんなにおいしいフレーズを読んだらブログ記事1本として昇華しないわけにはいかないなと。

この自分たちのサッカーを自分たちのブログに置き換えて考えてみましょう。

今回も自分たちのサッカーができていなかったらしい

自分たちのサッカーをしなければならない彼らは毎回毎回負けるたびに自分たちのサッカーをできていなかったといいます。

一方、今日も記事がイマイチ面白みも役立ちもなくぱっとしなかったブログでは記事執筆者が「今日も自分たちのブログを書けなかった」と思います(たぶん、いやもしかしたら、いやいやひょっとしたら)

サッカーはチームプレーですから「自分たちの」と表現するのはごもっともなのですが、ブログの場合はたいていスタンドプレーですから自分たちではなく「自分の」ですね。

言葉に発するのではなくブログは基本的に文字媒体ですから文字で表現すると
「今日も自分のブログが書けなかったorz」
なんてorzをつけちゃうとさらに感情を表してますね。
ガクッと来ている様子が手に取るようにわかっていただけると思います。

さて、サッカー日本代表の「自分たちのサッカー」がどんなものかまったくわかりませんが、ブログを書く人が考える「自分のブログ」とはどんなものか考えてみます。

機略を縦横に走らせ、読む人をクスっと笑わせ、さらに深い含蓄をもち、ブックマークしておいて後でもう一度じっくり読みたいのはもちろん、知り合いにも教えずにはいられない(シェアする)ような記事を書くことが「自分のブログを書く」ということでしょうか。

理想的です。

そんな記事を書くことが「自分のブログを書くこと」と理解します。
毎回そういうブログが書ければ確かに日本代表になれそうな気もします。

しかし、トップレベルのブログを書く人はそういうふうに考えて書いてはいないんじゃないかなって勝手に想像しています。

「自分のブログを書こう!なんて力んでも仕方ないよ、へへっ」て感じなんじゃないかなってかなり強引に想像しています。

おそらく呼吸するように淡々とブログを書いているんでしょう。
もちろんその呼吸法は熟練者と初心者とではまったく違うと思いますが。

一息吐くごとに雪月風化、仙姿玉質、抽黄対白、沈博絶麗・・・といった形容をしたくなるような文章を書くのは日ごろの練習の賜物です。

よって自分のブログが今日も書けなかったなんて落ち込んでないで淡々と書くことです。
いつかは「自分のブログが書ける」はずなんて思っているのは「いつかは青い鳥が現れるはず」とか「いつか王子様が」目の前に現れるはずなんて夢を見ているのと一緒です。

青い鳥も王子様も来ません!

何年も経ってから振り返って考えて「あ、あのとき青い鳥がいたんだなあ・・・」と思うのです。

よって「自分のブログ書いてたよ」と後になって思うのでしょう。今は駄文と思っても。

したがって毎回毎回が自分たちのサッカーなんですね。

ところで、もう一つ記事に載っていたのがなぜ「自分たちの」にこだわるのかということでした。

どんな相手にも毎回同じように自分たちのサッカーで
「通用するのか?」
という旨のことが書かれていました。

そうですね。
誰に対しても同じ自分でいるということが必ずしも正解ではないのかもしれません。

嫁の前では従順で、愛人の前では野獣になるということも戦略としてはありなのかもしれません。
最後にこういうオチになるとは自分でも予想していませんでした。

今日の記事は「自分たちのサッカー」は、いつから日本代表の口癖になったのか | 女子SPA!にインスパイアされて書きました。
記事を紹介してくれていたネタフルさんの記事はこちらです。
[N] ネタリスト(2014/06/27 09:45)「自分たちのサッカー」は、いつから日本代表の口癖になったのか(リンク切れ)