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2016年11月某日結婚25周年記念に夫婦での旅行の足しにと親から小遣いもらって考えたこと

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pakutaso
2016年はぼくと妻が結婚してから25年の節目だ。よくぞ25年持ったものだと我ながら感心することしきりである。ぼくほど人に対して飽きっぽい人もいないと自分で思うくらい人に対してサバサバしているのだ。

何かの節目のようなときには親が多少のご祝儀やらをくれるのだ。孫(ぼくの子供)の入学祝いだったりとか。だがまさか25年記念に小遣いをもらうとはまったく予想していなかったので、じゃ50年記念になったらもっともらえるか?なんて考えてしまうがお互い、あるいは誰もいなくなっている可能性が高いので期待しても無駄。

で今回小遣いをもらってしまって考えたことをここに残しておきたい。後々こんなことを思ったのかとまったく意外な気持ちになることも十分考えられるからだ。

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結婚25周年の祝にと親から旅行資金もらって思ったこと

お互い行きたいところが一致しないだろう

ぼくは1人で旅行に行くのが好きだ。妻と2人で出かけたことはあるがそれだと別行動するわけでもなく一緒に行動するので自分のペースで見られない。自分のペースで見られないとストレスになる。

休んでお茶を飲みたいと思ったりグイグイ進んで飛ばしたいと思うタイミングや嗜好は人それぞれ違うのだ。だから一緒に旅行にでかけることはあるまい。一緒に行って楽しいのは子供がいないうちだけだ。

もっとも1人で出かけて寂しく感じて「ああ、妻と一緒に来ればもっと楽しかっただろう」と思うことはある。だが1人で出かけたときのほうがその地方やら場所やらの記憶が後々まで鮮明に残っているのだ。これは明らかに違う。

一緒に出かけるとなぜか記憶がところどころ飛んで、後になって写真を見返さないと或いは写真を見返しても本当に行ってきたのだろうかと訝ってしまうことがある。

それくらい人と一緒だとその場所に集中できない。たとえ一緒にでかけて楽しかったとしてもどこへ行ったか覚えていないのではわざわざお金を払って遠くへ行く必要もなかろう。

妻はしょっちゅう旅行に行っているのでぼく一人で使おう

妻はぼくの10倍ぐらいあちこち出かけている。大げさではなく本当だ。どこからそんな原資が出ているのかまったく不思議になってしまうが日帰りやら1泊やら2泊やらでしょっちゅう遊びに行っている。

まあ妻が機嫌がよくぼくさえ我慢していれば家庭内は平和だからそれはそれでいいが、あまりにも家庭内貧富の差が激しすぎてときには激昂してしまう。妻がいないときに。

だからぼくの親から「一緒に旅行へ行く足しに」と言われてもぼくが足しにする。もはや妻は足す必要がない。逆に引きたいくらいだ。

クルマだってガス給湯器だって家の外壁だって時間とともに老朽化する。それらの更新費用はどこから出すのだ。

車検費用を貰おうと要求すると不機嫌になり、税金の納入時期になると不機嫌になる妻の感覚がまったく理解できない。

だからぼくは自分だけのために旅行の足しにする。

っていうか結局クルマ買う資金にでも充てるかも

旅行といっても楽しく充実したものにしようと思うと結構金がかかる。めったに行けないぼくとしては充実したものにしたいのだ。

だがそれには莫大な資金がかかる。ってどこ行こうと思ってるんだ自分は。たかだか国内じゃないか。ちなみに萩に行きたいです。

しかし旅行に行くと一瞬で何万円も吹っ飛ぶ。もちろんプライスレスな思い出は残るが文字通りプライスレスでお金には戻らない。

そうなると後々まで償却効果のあるものに使わなければならないという気持ちが働く。つまりモノに使うことだ。

なんと貧しい心か、と。

そんなわけであるから親からちょっとした旅行に行っておいでと貰った小遣いであるが、クルマかガス給湯器あたりに消えてしまうかもしれない。寂しい。

まとめ

25年なんとか持ちこたえて親からは祝福してもらったが正直なかなかキツイ修行ではある。

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