関東の言葉使いに感じるグローバル化と検索エンジン最適化について

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吉見総合運動公園管理事務所休憩所
ここ何年も薄々感じていたことを言葉にしてみたいと思います。
ぼくは生まれも育ちも関東それも埼玉県ですのでやや訛りがあるとはいえほぼ標準的な言葉を知っており話すと自分では思っています。

ところが近年、とくに子供が育つ様子を観察しているうちに子供を中心に言葉使いが変わってきておりそれはグローバル化だけではなく、検索エンジン最適化まで図られたものになっているのではないかと感じるのです。

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1.あの一人称が いつのまに東日本に浸透したのか

子供が社会に出る(幼稚園というコミュニティにデビュー)までしばらくは大人同士だけのコミュニティでの生活でした。

それが子供が幼稚園そして小学校に上がるにつれ周りの子供との会話を聞くようになります。
そんなときに聞こえてきたのが彼ら彼女らが一人称つまり自分のことを「うち」と呼んでいるのです。

「うち」はもともと関西の一人称でした。

東日本のわれわれバブル世代は子供の頃から自分のことを「うち」なんて呼んだことはありません。
「うち」という一人称を聞く機会は朝の連続テレビ小説で主人公の少女が使う場合だけでした。
つまり「うち」という一人称はドラマチックな人生を送る美少女のみ使って良い言葉であるという暗黙の了解があったと思います。

それをいつのまにか万人しかも野郎まで使っている光景を目の当たりにすると「ああ、日本も一億総ドラマチックな美少女化してきたか」と感嘆し天を仰ぐ気分です。

東日本では「うち」という言葉は本来「自分の家」という意味でした。それがいつのまにか「自分」という意味に変化したことにより「自分の家」をどう表現するかといえば「うちんち」です。

もともとは「おれのうち」が「おれんち」に変化していました。いわゆる消失音てやつです。その「おれ」が「うち」に変化し「うちんち」と表現するようになったのでしょう。

いつのまに!という変化点を知りたいとも思いますが、知るすべを知りません。

2.一人称で検索エンジン最適化をしているとは

さて、検索エンジン最適化とはgoogleをはじめとするインターネットの検索エンジンが最適なページを検索者に提供しやすいようにサイト内で施策する技術のことをいいます。

むずかしいですね。例えて言うとこのブログは「semiboze」というハンドルネームを持った人が書いています。「semiboze」という言葉を検索されたときに見つけやすいように記事の中で「わたしは」という言葉を「semibozeは」という言葉に置き換えて使う場合があります。

何度か記事最後の締めに使っている「今日のsemibozeはこう思ったよ」というフレーズもその一つです。

ブログによってはしつこいくらい一人称でこのハンドルネームを使っているものがありますが、実際は読んでいて気分が悪いです。しかしこれと同じ現象が現実社会でも起きているのです。

つまり「ゆきなが作るよ」とか「としふみが作ってやるよ」とかいった一人称の使い方が身近の人の口からも聞かれるのです。

確かにこれは昔から数パーセントはいました。いい大人が自分のことを名前で呼ぶということは時々はありました。

それが悪いことだというつもりはありません。しかし明らかに検索エンジン最適化を狙っているだろ?というツッコミは入れたくなります。

いったい誰に検索してもらおうと思っているんだ。

1と2で矛盾しないか

しかし最初に取り上げた一人称の「うち」多用とつぎに取り上げた一人称「自分の名前」多用では矛盾があります。

いったいどちらが主流なのでしょう。

自分の身近な人間を観察するに検索エンジン最適化を図った呼び方をするときは「ごくごく親しい関係の人との会話のとき」で、「うち」を使うときは「それより少し親しさが薄い人々との会話のとき」であるのではないかということです。

ではさらに親しさが遠い人々に対しては「私は」という一人称を使っているのです。

就活の面接で「ゆきなは~」とか「うちは」とかはおそらく東日本ではアウトです。未来永劫とはいいませんが。

西日本では「うち」はぎりぎりセーフでしょう。ただ本来はドラマチックな人生を送っている美少女専用の一人称、つまり天皇陛下しか「朕」を使えないのと一緒でパンピーなズベは使うのを控えるべき言葉ではあります。
ちなみに西日本でも広島は「わし」なので例外です。

まとめ

ということで最近の男女の一人称の変遷を聞くにつけ時代の変化を感じた話でした。

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