口癖というものは誰でもひとつやふたつあるものでしょう。
先日勤務先で、ある会議に出席したとき痛々しいほどの口癖を感じてしまいましたのでここらで自戒の意味も込めて書いておきます。
勤務先で「ある会議にでた」などとまるで滅多に会議が無いような表現をしていますが、そのとおりです。1年に数回、片手で十分間に合う程度の会議の回数です。
まあ、ネットの発達した現代におきましては会議が多いほうが非生産的だとさえいわれていますから、会議が年間数回でも今どき決して珍しくは無いかもしれませんが、だからといってコミュニケーションが十分図られているかというと全くそんなことはありません。
そんな話をしだしたら止めどもなく続いてしまいますので、今日は口癖の話です。
その会議の席上である若手社員-といっても40歳代ですが-が自分では当然意識していないでしょう。数語語るごとに出てくる言葉は「ちょっと」というキーワードです。
王様のブランチでNGワード指定されたらきっと彼は何ももらえずに帰ることになるでしょうというくらい「ちょっと」を連発していました。
かくいうぼくも身に覚えがあるんです。
口癖って自分では意識しづらいけど確実にあるはず
ぼくも「ちょっと」という単語を会話のなかで随分な頻度で使っているということを自分でも知っています。
自分の場合、誰かから指摘されたのではなく自分で自分の話す声を聞きながらいつの頃からか「ちょっと」とか「まあ」って言葉を使いすぎているなあと感じるようになりました。
そんなおかげで最近は話をするときに「ちょっと」と言ってからしまったと思い、そこから先は口が重くなってしまいます。
なぜ「ちょっと」という言葉を頻発してしまうかという心理的な話も興味深いところですが、この口癖というやつを自分で意識して見つけ出す適切な方法はないものでしょうか。
実はあります。
それは文章をスタスタと文字にしてみることです。
例えばブログを書くように。
そうするとあとで読み返したときに頻繁に出てくるフレーズに気づきます。
頻繁に同じフレーズが出てくると自分の作った文章だろうと他人様が作った文章だろうと「イラっ」とすると言ったら極端ですが、極めて敏感に目に止まります。
だから読み返すのは大切なのだなあと感じるのですが、なかなか毎度毎度読み返すマメさも根性もありません。
ともかく、同じフレーズが何度も文章に登場すると「しつこい」とか「くどい」とか「語彙が貧困」とかを読む人、聞く人は感じます。ですから自分で文章を書いて読み直すと自分の表現の癖がわかりやすいのです。
「くどい」とか「つまらない口癖が多い」などと思われるのは文章を書いていて、あるいは話していて非常に残念なことですね。
自分で話していて口癖に気づくのはなかなか大変です。自分の言葉を終始意識して自分の耳で分析するのは至難の技ではないかと思っています。
でも文章として書いてみるとそれは簡単です。
よくある話として、メールではまともな文章を書くのに話してみるとクドイとかって人が周りにいませんか。
自分もそんなふうにならないように気をつけたいですが、難しいです。
文章は読み返して修正が効きますが発した言葉は修正できません。ただ文章を書いて読み返して修正して理路整然としてクドくない表現を練習するときっと話すときのことばもクドさや冗長さが改善されていくのではないかと期待しています。
そんなわけでブログを辞められません。
辞めたらきっと話す言葉ももっと貧困になると想像できるから。
さて、では先に触れたなぜ「ちょっと」という言葉を頻発してしまうかについて考えてみます。
自分の仕事への自信のなさが「ちょっと」頻発になる
これは個人的に自分にあてはめて思いつく理由です。
「ちょっと」〜をお願いしたい。「ちょっと」〜と考える。など使い方によっては意味不明っぽくなる場合もありますが、往々にして「ちょっと」多用は自分を卑下している心理の発露ではないかと思います。
要するに相手様の貴重な時間を自分のために使っていただくのは申し訳ないとか、自分の考えはもしかしたら取るに足らない、程度の低い考えなのかもしれないなどという自信のなさです。
おそらくもっと自信のある分野で会話をするときは「ちょっと」を多用しないのではないかと想像します。
冒頭触れた若手の社員の人も技術職ではありますが、そのときのシチュエーションとしては相手は得体のよく知れない外国の企業の経営者と技術部長みたいな人でした。
そんな人達相手に話をするときに、自分が対等に技術的な話をできるだけの基礎を持っていないと一瞬で判断し、「ちょっと」などというまったく不必要なつまらない単語を会話のところどころにまぶしてしまうのです。
これを克服するにはさきほど述べた文章を書いてみるだけではだめです。
相手を凌駕するほどの基礎をこちらも持っていないと仮に「ちょっと」という言葉を意識的に言わないようにしたとしても別の邪魔ワードが飛び出すことでしょう。自信がなければ自信がないなりの言葉遣いになってしまうのです。
結局、人の発する言葉というものは訓練した量x質以上にはならないという現実から逃れることはできないのです。
うーん、いいことを書いてしまった。