戸隠神社に行ったときに善光寺にも行ければ良かったのですがスケールが大きすぎてとても一日では回りきれません。
日を改めないと両方見て回るのは困難です。
あとはブログに書こうと思ったら参拝は早朝とかにしないと厄介です。なぜなら顔ぼかしをしなければならない写真ばかりで加工が面倒くさいから。
まあ写っちゃったまま掲載しても別に大問題にはならないと思いますが、どうも気持ち悪いので一枚一枚顔がわかっちゃいそうな部分に加工します。
そうそう、気持ち悪いといえばこの善光寺やら戸隠神社のような宗教施設に大勢の人が押し寄せるのも気持ち悪いです。片や○○学会キモいとか○○教キモいとかインコ(?)怖いとかいう国民ですが年月(だいたい100年程度経つと時効成立する傾向)の経過している宗教施設には大挙して押し寄せます。
そういうぼくも宗教施設に押し寄せるのが好きですが別の理由があります。それは古い建物が好きだということと歴史的背景を追求したいという理由です。全然追求しきれてませんが。
そういった理由ですから神社では賽銭投げてパンパンしたり、寺では賽銭投げて拝んだりなどしませんといいたいところですが神社にはパンパンします。
ちょっと矛盾していますがあえて強引に言い張ると神は細部に宿るといい、仏は海を渡って輸入されてきた宗教だからとでもいいましょうか。
さて善光寺です。
表参道からそこそこ混み
成田山にも行ったことがありますがあそこの表参道はもっと混んでました。それに比べたらまだ空いている方かなという印象。
ところでどこに駐車したか
さて善光寺の詳細を述べる前にほぼ当ブログの恒例となっております駐車場情報を一筆啓上しておきます。
どこか無料駐車場はないかいなと近所を30分程度走り回りましたが、いくらド田舎とはいえさすがにテーマパーク付近ですから無料の駐車場なんてありません。
もしやと思って行ってみたイトーヨーカ堂の駐車場も有料でした。駐車場入口はここね▼。
ヨーカ堂よ、おまえもか?
であれこれ迷った挙げ句、どうせ自転車に乗って行くのだからと善光寺から徒歩10分程度の場所に停めましたよ。イトーヨーカ堂と同じくらいの距離だと思います。
2018年12月3日現在Googleストリートビューで見ると建物が建っておりますが実際には平面駐車場です。
1時間ちょっと欠けるぐらい駐車していたと思いますが200円でした。そこそこ安いかな。1日最大でも700円ですので遊ぼうと思えばぜんぜん余裕でしょう。
フレンドパーク長野諏訪町の駐車場の詳細|日本パーキング株式会社(NPC24H)
建物古そう
山門には仁王像が立っていますよく見なかったけど古そうです。もちろん門も古そうです。
▼さらにもう一個門をくぐると本殿かな?見えてきます。
ここほんとに長野県かよ?って疑うくらい人がいます。まあバカにするわけではないけど埼玉県の熊谷市なんかよりよっぽど人がいます。
こうして何枚か写真を撮るには撮るんですけどいちいち顔モザ入れなきゃならなくてUZEEEEEEEE。
▼本殿と思われるところでは正面から撮影するのは憚られるのでやや下向きに写しました。なんのためにこんなに大勢集まっているのかは不明。
▼極楽浄土へ行けるよう免罪符を買っています。(冗談)
紅葉終わり
▼インスタ女子が食べ残しのご馳走にかぶりついてました。
▼ノイズ(人気)のない所を探して撮影するもつまらない(失礼)なものばかり。
▼帰りは門の横から来て撮影しましたが大きすぎてかなり離れていないと全景を撮れません。よく建てましたねこんな大きいもの。
帰りの風景
表参道を帰りの方向に向かって写すもまだまだこちらに向かってくる人、人、人。人酔いするタイプなのでさっさと退散したくて心は落ち着きません。
この門前町の賑わいは成田山とよく似ています。ただ成田山新勝寺への表参道は起伏に富んだ道でしたが、こちらの善光寺への表参道は緩やかな上り坂です。
150年吉田松陰と高杉晋作で食ってる萩の人たちと同じようにこの道の両脇のお店の人たちは善光寺で1400年食ってますから年季の入り方がほかと違います。
このコーヒーの幟は門前町であるとないとに関わらずあちこちで同じものを見かけますね。
▼写真には写っていませんでしたが、まあまあ雨が降っていました。どうして観光地に一人で行くと雨に降られるのか?
門の前にはホテルのようでクラシックでおしゃれなカフェがあります。おそらく結構有名でしょうけど意識高い系またはインスタ女子が群がっていると想像できるので利用しませんでした。ついでにいうとクルマを停めた駐車場のそばにカフェ日々というちょっと裏通りのひっそりとした喫茶店がよさそうで入ろうと思ったのですが窓からカップルが見えたので止めました。
善光寺くんだりまで片道4時間もかけて行ったのに成果はこの記事1本です。
また来たいとは特に感じません。だって1400年前は新興宗教施設だったわけでそれが年月とともに新興じゃなくなったというだけのことです。