広島に来て原爆ドームを見ないというのもアレなので最終日に行ってみた。修学旅行以来と思ったら数年前の広島出張のときに取引先の人に夜連れてきてもらって見たのだ。でも夜だったので良く見えなかったような気がする。
そのときの写真を探してみたらあった。撮影日は2010年8月24日だった。なんと投下日と終戦日の間だったのか。(←追記:何を勘違いしたのかわからないけど、多分混乱していたので単純な誤記です)正しくは投下された日、そして敗戦が決まった日のすぐ後だったなあ。
【追記】上記↑の訂正はTwitterで指摘されたから一度は直したんだけど、よくよく調べたら間違ってなかったってことがわかったから追記しておく。
日本人は大部分の人が8月15日こそ終戦記念日だと思ってるけど世界標準(出羽守じゃないけど)では戦艦ミズーリ号の上で9月2日に終戦の調印をしたのが終戦日だ。したがって上記最初に書いた「撮影日8月24日は原爆投下の日と終戦の日の間」というのは間違いではない。
8月15日こそ終戦の日だと思い込むのがガラパゴスだよ。ちなみに正式な終戦前にソビエトが北方四島を占領したのも仕方なくね?ついでにいうとソビエトがペレストロイカやったときにどさくさで占領し返すっていうチャンスを逃した日本政府の体たらくよ。以上【追記】ここまで。
まあそういうわけで何枚か市内の写真を撮ったので掲載しておきたい。
特に気に効いたコメントは思いつかない。
広島市内観光
原爆ドームは改修工事をしているのかと思ったら健全度調査だそうだ。
いずれにしてもこういう姿を見られることは滅多にないので、これはこれでよい。
▼約半年間かけて調査をするのだ。この記事が公開されるころには終わっているだろう。
▼場所は改めて示すまでもないかもしれないがここ。
▼広島市民球場跡地にも来た。別に野球好きでもないのだが鉄人衣笠の記念碑とかあるらしいのだ。
▼見渡してみると結構狭く見える。よくここにスタンドとグラウンドが入っていたなあと思うぐらいだ。だからこそマツダスタジアムという立派な球場に移設したのだろう。
【関連】【ネタバレ注意】マツダスタジアムのバックヤードコース見学レポート
▼グラウンドだけならともかくとても観客席まであったとは想像できない。
記事公開当時は塀で囲われた更地になっていたが、見られるのは地図でいうとこのあたり。また別のものを建てることになるのだろう。
▼広島球団のファウンダーともいえる鉄人衣笠の記念碑。
球場の周辺どこかにあるはずだと思っていたら結局一周回ってしまった。大通りからすぐ見えるところにある。
▼衣笠が活躍していた時代に自分はちょうど小学校の子ども会でソフトボール少年だったので、彼の活躍を目にすることはよくあった。だから衣笠にはやや愛着がある。
▼今でこそ連戦連敗でセリーグ1の弱小球団というイメージが定着しつつあるが、過去に何回か優勝していたのだ。
黒田が復活したのだからがんばってほしい。
▼記念碑のある場所は広島市民球場南という交差点付近のすぐ北あたり。
広島定番観光のまとめ
広島定番観光施設を見たのはほんの数分間だったが一人だとこんなものかもしれない。
それにあまりにも定番すぎるスポットであるため特にコメントも浮かばない・・・
今度来るときは晴れていますように!
それにしても政令指定都市だけあって広島市は人が多い。まさかこんなに人が多いとは今回来るまでまったく予想していなかった。
そう考えると東京同様に焼け野原、それも核爆弾による焼け野原になった場所がこれだけの発展を遂げ、今では(たぶん)原爆ドーム以外で原爆の形跡を残していないくらい発展したのは驚異というほかない。
ほんの60年前に原子爆弾で何もかも焼け焦げ地球上で最も悲惨な状態になったとはもはや想像できない。かろうじて原爆ドームを見るにここに爆弾が落ちたということはわかるが、文字通り壊滅されたとは残念ながら想像できない。
今回見なかったが記念館にいろいろ当時の悲惨さを残すものが展示されているのだろうが、そういう記念館にあると人は意識的に能動的に訪れないと実感できない。それよりいつでも目に入る原爆ドームのような「原爆の跡」をもっとそこかしこに残しておいても良かったのではないかとも思う。