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懐かしい人に会う機会をつくるということについて

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pakutaso
先日恩師にあってきた。
恩師といってもいろいろいるが、小学校3年生のときに教わった羽鳥先生だ。
歳をとってくるとだんだん先の短さを痛感し、やり残したことを急いでやらねばという気持ちが強くなる。
先日親と話をしたとき、羽鳥先生とよく買い物のときに出会うとのこと。
親がよく会っているのに、教え子が同じ市内に住んでいて約40年間一度も会いに行かないのは失礼千万な話だ。
ということで大まかな場所は親が知っていたので、それだけ頼りに出かけてきた。

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遅疑逡巡を脱する

数分近所を探したが、幸い羽鳥先生の家はほどなくして見つかった。
呼び鈴を鳴らすと幸運にも先生はご在宅で話をすることができた。

話といってもアポ無しで行ったのだからそんなに何十分も話し込むわけではなし、ましてや家に上がり込むこともなかった。

だが、先生のお元気な様子を見てなんというか感慨無量ではある。
「良く来てくれたね」とうれしそうだった。

羽鳥先生も39年前の記憶(正確には実家が店をやっていたこともあり、1度は再会していたことがあったかもしれない)から見るとずいぶんと歳をとられた感がある。

これは仕方のないことだ。
だが、ご健在なうちに会うことができて本当に良かったと思う。
これで親から羽鳥先生の噂を聞きながら逡巡しているうちに万一のことでもあったら後悔してもしきれまい。

若いうちは逡巡や遅疑もよかろう。本当は良くはないが。
だが、歳を重ねていくと遅疑逡巡は取り返しのつかない結果を招く。

先日も親戚の伯母が亡くなったのだが、1年以上会っていないうちに亡くなられてしまった。
身体の具合が良くないとは聞いていたので見舞いに行っておけば良かったなあと思うが、もうどうしようもない。

そんなことにならないように会えるうちにあっておくのだ。

同窓会はパスです

そうかといっても同窓会とか企画する気はまったくない。
だいたい同窓会をやろうぜなんて話を立ち上げる人って、ある程度の名の知れた企業に勤めていてそれなりに肩書きのある人か、フリーランスになって「誰からも指図されないで仕事してるぜ」っていう二通りの人じゃないのって印象。

まあ、勝手なひがみかもしれないが、自分は今雇われて働いている仕事に関しては誰にも負けない劣等感があるので同級生や同窓生に会うなんてとんでもない!

それに社会に出たてのころ、今と違う仕事をしていてそれが個人相手の営業だったもんだから卒業してすぐにほとんど、いや全ての学友は無くしてるしね。

同級生相手に営業をして、行き着いた先が劣等感に満ちあふれたブラック企業では同窓生と同窓会なんてありえないよね。これは自分の性格云々もあるけど自分の立場にいたら誰でもきっと同じように考えるのではないかと思う。

だから同窓会とは一生無縁だろうな。
フリーにでもなれば話は別だけど。

まだまだ会わなければならない人たち

年賀状は出しているけれど数十年会っていない恩師もいるし、住まいは知っているけれど会いに行っていない恩師もいる。

そういう恩師はもはやお歳をめされて、失礼ながら遠慮なく表現すれば老い先それほど長くはない。
失礼だが仕方ない。自分だっていつ滅びるかわからないから、数十年先をいく恩師はなおさらだ。

これからは自分の時間の中からある一定の時間を割いてこういった懐かしい人々と会う時間を設けて行きたいと思う。

親戚でもずいぶん会っていない人もいる。
通夜や葬式のときしか会わないような親戚もいるが時には会いにいくべきであろう。

お互い結構な歳になっているのだからあまり無下にされることもあるまい。

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