ここにいない誰かとの逸話を話すときに締めくくる魔法のことばであなたは凡人にも非凡な人にもなる

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Pakutaso
ある立派な年配の人と知り合いでした。その人はずいぶんぼくより年上でしたが話をしているとしばしばいろいろな人との逸話をしてくれました。

人生経験も長く社会的地位もそれなりに高かった人なのでいろいろな人とのいろいろな逸話を持っていたのです。その逸話の内容は面白くそれなりに笑わせてもらったり泣かせてもらったりもしたのですが、彼の語る逸話の最後の締めの言葉が関心できませんでした。

その最後の締めの言葉がたいてい「ありゃだめだ」なんです。

会話の中でのNGワードは「ありゃだめだ」

いったいどういうことかというと「誰々とどこ行ってどうしてこうしてああだった。そしたらこんなことになって困った。誰々がこうしようといったけどそれは止めてこうさせたらうまくいった」みたいな感じの起承転結です。

まあ要するに結局は自分の武勇伝だったりするんですけど、それで最後はその誰々さんのことを「ありゃだめだ」と落として締めくくっていたんです。

まあその締めくくりの言葉が妙に面白くて楽しく聞かせてはもらったんですけど、今になって思うときっとこの立派な年配の人は別の場所で別の人と話をするときにぼくのことも1つや2つ話の引き合いに出して最後は「ありゃだめだ」で落としていたんだろうなあなんて想像します。

すでのこの立派な人はこの世の人ではないので確かめようもないですが、想像に難くないですよね。

人の噂話で特に悪口というのはとかく面白いものですがするべきではありません。「ありゃだめだ」って思っても第三者に頻繁に語るべきではないのです。「ありゃだめだ」と思ったらその本人に伝えないと。

まあ誰でも言いにくいことはあるでしょうから、その立派な人も顔は広く仕事上の業績はきらびやかだったとしても自分以外は全て無能に見えてついつい目の前にいる人以外の他人は誰でも「ありゃだめだ」と形容したくなっていたのかもしれません。

ただだからといってかなり有能な人だったから「ありゃだめだ」という批評が許されていたというのはあります。相当有能でないと頻繁に他人様を「ありゃだめだ」などと酷してタダではすみません。しかし許されていたのだから恐れ入ります。

我々というかぼくぐらいの凡人は簡単に人様のことを「ありゃだめだ」などと評してはいけないのです。自分に向けるのも「だめ」ですが「あれはイイね」という評価をしていくようにしたいものです。

人は否定的な言葉を使う人より肯定的な言葉を使う人に魅力を感じるはずですから。

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主張
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