シンガーソングライターの南こうせつ氏がカワイイ女のコに惹かれるという話を先日書きましたが、ぼくもいくつになってもカワイイ女のコには惹かれます。
できれば独身にもどってもういちどカワイイコを探す旅をしたいとさえ思う時もあります。
そんなカワイイコですが、やはり都会にいかないと多くはめぐりあえません。それともう一つ都会でないとだめなことがあることに先日気づきました。
都会に田舎が劣る2つの重要なこと
カワイイ女のコの絶対数
まあ人間の数がそもそも都会より田舎のほうが圧倒的にすくないのですから当然ながらカワイイ人も少ないのは当然です。
しかし、比率は同じかというと必ずしもそうではないんですよね。カワイイ率とでもいいましょうか。仮に都会が15%とすると田舎は5%ぐらいです。もしかしたらもっと少ないかもしれません。
なぜかというと、単にキレイかキレイでないかということではなく圧倒的に女性のキレイに対する意識が違うといってよいと思います。
都会では人口が多いせいもありまわりを見渡すとキレイな女性もイケメンも大勢います。そういう人を常に見ていると己ももっと磨かなければというモチベが自然と働き、どんな人でもある程度までのレベルに到達しているのだと思います。
土台が良い人はより美しく、そうでない人もそれなりにという感じになるのでしょう。つまり全体的に底上げされているとでもいいましょうか。
そんな感じで都会はキレイなあるいはカワイイコが多いと感じる次第です。
これは必ずしもぼく一人の考えというわけではありません。現にぼくの嫁も女性ながらそういう感想を時折り漏らします。
すなわち「つまり田舎って自分と同じ年でも結構オバサンになっちゃってる人が多いのよね」と。ちなみに嫁は一応東京生まれで結婚する前までは人生の半分くらいを東京で生活していましたし、その親もその先祖も東京の人のようですから江戸っ子です。(当たり前かもしれませんがかなりキツイ江戸っ子です)
そういう女性が熊谷程度の半分田舎半分都会(疑)ともいえる土地でまわりの女性への感想を上記のように漏らすのですからもっと限界的な集落へいったら推して知るべしです。
LTEが繋がるのはそこそこ都会
LTEが繋がるかどうかは現代人にとって死活問題です。
スマホがほとんどの人の手に行き渡っている昨今では外に出たらLTE通信ができないと息ができないのとほぼ同じことです。
おそらくもうしばらくしたらどこへ行っても公衆Wi-Fiが繋がる世の中になるのかもしれませんが、まだしばらくかかると思われます。そうするとやはり必要なのはLTEです。
それが大都会になってしまうとカワイイ子は多いもののLTEが逆に繋がりにくく、それもMVNOでは繋がりにくさが如実に現れるので大都会すぎてもNGです。それと同じくまわりが山ばかりの田舎に行くとLTEどころか携帯電波がなにもつながらず窒息しそうになります。
現に先日、秩父の山をサイクリングしたときにせっかく良い写真を撮ってその場でInstagramにアップしようとしたら電波が圏外になってしまっていて興ざめしてしまった記憶があります。
つまりLTEが繋がるということが酸素呼吸と同様に重要です。
今日はこう思ったよ
よって田舎は2つの意味で都会にアドバンテージを取られてしまっているということがいえます。
そんな田舎でカワイイ子をみつけてLTE通信をするのはなかなか根気もいるし運も良くないといけません。
したがってもう少し都会が理想に近いのかなあと思ったりもしました。